草津アカデミー
第38回、草津夏期国際アカデミー&フェスティバル( http://kusa2.jp/ )。今年も、8月17日(木)から、30日(水)まで、草津音楽の森国際コンサートホールを中心に行われます。既に38回と定着した現在、「なぜ、草津に?」と不思議に思われる方はあまりいらっしゃらないかと思います。
そこには、豊田耕児氏の群響への招聘のための物語があります。義父の著書「愛のシンフォニー」から、以下抜粋します。
帰国してから豊田作戦をじっくり考えた。豊田耕児といっても、知る人ぞ知るで、この地方の何人が知っているだろう。日本にあっては、かつての華々しい天才少年を音楽ファンなら知る人も多かろうが、その豊田さんも国を出てからすでに久しい。しかし、ポイントはいくつかある。
ベルリン - 東京なら普通だが、ベルリン - 高崎と、東京をとび越しているところが面白い。またベルリン芸術大学といえば、音楽の世界ではまずトップクラスなのであろう。そこの教授と群響、これも面白い。それに豊田さんが執着していたアカデミーというのも、豊田さんがあれだけ強い意欲を持っているのだから、持っていきようによっては、群馬県どころか、日本の名物になる可能性もあるのではないか・・・。
毎日毎日そんなことばかり考えていたある日、群馬県庁に小寺総務部長を訪ね、豊田さんの報告と共に、アカデミーの候補地について次のような話をした。
「講習会は夏、期間は三週間が理想だが、最低二週間ということになると、涼しい所と宿泊施設が条件になる。伊香保、水上、草津の三温泉がまず頭に浮ぶが、個人教室と演奏会場、会場間の交通利便等々考えると、うまい条件が揃わない。例えは草津がある。硫黄が強く金属類は影響大ときいている・・・。いっそのこと赤城の国立青年の家を二週間借り切りにでもできないものかと考えているんですが、困りました」
私は部長に、相談でも依頼でもなく、ただ弱音を吐いてきたように思う。ラ・メーゾンの米山さんに、
「碓氷峠の入口の阪本はどう? あそこなら平地よりいくらか涼しいだろうし、宿泊は民宿、演奏会場は学校の講堂を借りてさ」
といわれたのを覚えているが・私はアカデミーの何たるかを詳しく知らず、ただ豊田さんの希望だからという一点で、真剣に考えていたと思う。
豊田作戦は、音楽センターの故知にならって、徹底的なマスコミへの働きかけで始まった。その時期が草津国際アカデミーと、どのように重なっていたか詳細な記憶がないが、とにかく、豊田さんの件はマスコミが協力してくれ、県民の関心を大きくたかめた。
その頃の某日、小寺総務部長から電話があった。主旨は、
「今度草津の中沢前町長が、県の教育委員になり挨拶に見えた。その時ひょっと丸山さんのことを思い出し、アカデミーをやりたいのだが場所に困っている。草津は硫黄で駄目だしといっていたと話したところ、とんでもない、硫黄は町の中心部で、周囲は硫黄に関係のない広大な高原があり、宿泊施設もある、町としてもイメージチェンジをしたいところなのでやってみたいといっている。会ってみませんか」
といった内容である。丁度その頃、理事会をやることになっていたので出席してもらい、話は急速に具体化したのである。草津温泉としては、数百年の伝統がかえって重荷となっている面もあり、いわゆる近代化に苦心していたのである。
丸山勝廣著「愛のシンフォニー」(1983年11月25日、講談社刊)より
(注)旧「観音山日乗」サイトより一部変更の上、転載しました。